こちらでは定期的に「”秀吉のごほうび”コラム」と題して名古屋市中村区生まれの”豊臣秀吉”について雑学を交えながらその人柄や生涯について考えていきたいと思います。
奇想天外な発想から史実に基づいた話まで、
皆様に少しでも興味をもっていただけたら幸いです。
※個人の見解や噂程度の話も含まれますので、
あくまでやさしい気持ちで”エンタメ”として楽しくお付き合いいただけましたら幸いです。
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【”秀吉のごほうび”とは?】
“豊臣秀吉出生の地”として、人々の生活や地名の由来など密接に関わっている名古屋市中村区。
名古屋の下町としての風情がありながら、中部地方最大のターミナル駅である名古屋駅を有する
伝統と革新が入り混じった”人情の街”中村。
そんな街を誇らしく、大切に想い、地の皆様はもちろん、
多くの人に”豊臣秀吉出生の地”中村を知っていただきたい。
生まれ育った街に自分ができることは何か。
そんなことを想いオリジナルプランド”秀吉のごほうび”は誕生しました。

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第2回目の今回は、
豊臣秀吉の「あだ名」についてです。
秀吉のあだ名は「さる」として有名ではありますが、
実は「はげねずみ」とも呼ばれていたそうです。
秀吉の浮気が多いので、正妻である寧々(ねね)が織田信長に不満を漏らし、
それに対し信長が寧々に返信した手紙です。
信長の公印が押されている正式な書簡の中で秀吉のことを「はげねずみ」と書いています。
ルッキズムが問題視される令和の時代には考えられないあだ名です…笑
実は他にもあだ名があったと言われています。
それは「六つめ」。
天下人”豊臣秀吉”は、なんと指が6本もあったと言われています。
正確にいうと右手の親指が2本あったらしい。

秀吉に指が6本あった根拠は、前田利家の伝記『国祖遺言』に記されています。
”太閤様(秀吉)は、右手の親指が1つ多く6つもあった。あるとき蒲生氏郷、肥前、金森長近ら3人と聚楽第で、太閤様がいらっしゃる居間の側の4畳半の間で夜半まで話をしていた。そのとき秀吉様ほどの方が、6つの指(の1つ)を切り捨てなかったことをなんとも思っていらっしゃらないようだった。信長様は秀吉様の異名として「六ツめ」と呼んでいたことをお話された。”
この話に関しては、キリスト教宣教師ルイス・フロイスの『日本史』第16章にも「(秀吉の)片手には6本の指があった」と記されています。
~秀吉は先天性多指症だった??~
秀吉が6本指であったというのは、現代の医学で言えば、先天性多指症という症状。
決して秀吉のみに現れた特殊な症状ではなく、主にアフリカやヨーロッパに多いそうで、東アジアでも1000人に1人ぐらいの割合で生まれるそうです。
そもそも多指症とは、通常より指が多い病状を示し、そのほとんど(90%以上)が親指であるといいます。
したがって、『国祖遺言』が「右手の親指が1つ多く6つもあった」と記しているのは症状に合致しており、極めて信憑性が高いといえます。
戦国時代でも現代でも多指症に生まれた場合、幼児の間に切断して5本指にするのが一般的でその意味では、秀吉のように6本指のまま大人になった例は、当時としても珍しかったのかもしれません。
ただ、何名かの証言はあれど、
秀吉の指が6本あったというのは現代において確実とは言い難いらしく、謎が残ります。。。
皆さんはどう思われますか?
