今回から定期的に「”秀吉のごほうび”コラム」と題して名古屋市中村区生まれの”豊臣秀吉”について雑学を交えながらその人柄や生涯について考えていきたいと思います。
奇想天外な発想から史実に基づいた話まで、
皆様に少しでも興味をもっていただけたら幸いです。
※個人の見解や噂程度の話も含まれますので、
あくまでやさしい気持ちで”エンタメ”として楽しくお付き合いいただけましたら幸いです。
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【”秀吉のごほうび”とは?】
“豊臣秀吉出生の地”として、人々の生活や地名の由来など密接に関わっている名古屋市中村区。
名古屋の下町としての風情がありながら、中部地方最大のターミナル駅である名古屋駅を有する
伝統と革新が入り混じった”人情の街”中村。
そんな街を誇らしく、大切に想い、地の皆様はもちろん、
多くの人に”豊臣秀吉出生の地”中村を知っていただきたい。
生まれ育った街に自分ができることは何か。
そんなことを想いオリジナルプランド”秀吉のごほうび”は誕生しました。

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第一回目の今回は、
豊臣秀吉の出生についてです。
秀吉の出自については、多くの謎、
というか織田信長や徳川家康など生まれながらに身分が保証されていたわけではないので、そもそも書物がありません。
その後の史実からおそらく尾張国(現在の名古屋市中村区)で間違いないと言われておりますが、
ここにも秀吉ならではの魅力やロマンがありますよね!

例えば…
「秀吉は天皇の隠し子である」
「秀吉は太陽の子である」
「長浜で生まれた」
など…
農民から成りあがって天下人になったというサクセスストーリーがよく語られますが、最近では農民の子より足軽の子だったのではないかという説が有力だそうです。
一方で「天皇の隠し子」説については、恐らく秀吉本人の作り話だったと予想されます。
秀吉の母親がかつて宮仕えとして天皇や公家に仕えている時に子供を身籠り、仕事を辞めた後に生まれた子供だと、秀吉本人が出自を捏造したとも言われているのです。
これは秀吉が天下を取った後、農民や足軽から成り上がった奴だと出自を馬鹿にされないために流した噂だったのではないでしょうか。
当時は生まれや身分が重要視されたため、天下人としての正当性が欲しかったとも言えますよね。
もう一つ、
秀吉の幼名「日吉丸」について。
「丸」とは公家の「まろ」から来ているそうで
おそらく、というか間違いなく「日吉丸」とは呼ばれていないそうです。
この話からも秀吉の見栄っ張りさが垣間見れます笑
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ちょっと豊臣秀吉が好きになる、
ちょっと話せる雑学として、
楽しく配信をしてまいります!
